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偽装の代償

 建設業界で多くの偽装が発覚して一時は大きく騒がれたものだが、マスコミの通弊通り、その後の成り行きや後始末についての情報はきわめて少ない。

 その中で、昨年大きく報道された東洋ゴムによる不燃性能試験偽装にかかる社内調査報告書が同社のホームページで発表されている。これは自らが行った社内調査で明らかになった恥を敢えて公に晒して反省と改悛をより確かなものとし、社内風土を変えようとする真摯な行動として高く評価していいものである。ここに現れた赤裸々な会社の実態は、単に不正をはたらいた事情だけでなく、広く一般に観察される企業(と個人)の失敗の一例として我々にも参考になることが多い。有志は報告書を見てみるといいが、その暇のない方のためにかいつまんで要点を下に記す。

【経緯】
 1988年にイタリア・イソテクニカ社から両面鉄板ウレタン断熱パネル連続生産装置を技術導入しようとしたところからこの事件が始まる。

 競争会社が導入した設備が25億円で、イソ社の設備が15億円ということで導入計画が進み、89年9月にはイソ社との契約を締結する。

 この間、88年11月と89年6月に技術関係のトップや担当者をイソ社に派遣しているが、どういうわけかその前から「既に導入は決まっていた」状況であった。

 90年半ばに技術者を派遣してトレーニングを受けノウハウの習得を行わせているがこの時点になって初めてイソ社には日本の防火・耐火基準に関する技術ノウハウがなく、基準に適合する製品を作れないことが判明する。

 90年終わりには子会社で生産設備が完成しているが、91年末まで不燃材料の適合品開発に取り組みながらも成功しないまま、91年には事業を開始している。

 92年になって、販売からの強いプレッシャーの元、水酸化アルミを多量に混入させて試験体を作り、92年10月に建設大臣の準不燃材料認定を取得した。しかしこの配合ではイソ社の設備で生産することができないものであった。

 その後も不燃適合への開発が続けられたが、93年3月には開発を放棄、同時に事業本部長以下関係者の出席の元「営業了解」との意志決定がなされている。

 2002年11月に販売部門からの不燃材料認定取得の要請に対し、04年5月に難燃材を10%混入した試験体で不燃材料の認定を取得した

 この仕様では製品の連続生産はできず、性状に不具合の発生もあったため、5%以下の混入によるバッチ処理での生産を05年終わり頃より外注先に委託して販売した。

【原因と動機】
 調査報告書が挙げている原因と動機は次のようなものである。
 「事業化検討の不足」、「経営判断の甘さと監査機能の不足」、「事業部での隠蔽体質」、「コンプライアンス意識の希薄さ」、「独断専行のリーダーシップ」、「組織の壁」。

 おそらくどこの企業でもこれらの「欠陥」から全く免れていることはないだろう。
 大抵の企業では多かれ少なかれこれらの失敗を積み重ね、その都度事態を改善しながら生き延びている。決定的なダメージにならないのは、どこかで舵を切り替えたか、未だに露見していないかのどちらかだろう。

 報告書には「自社で行う不燃対応技術の確立まで製品上市とライン稼働の延期をすれば、・・・結果的に生産開始に至らずとも15億円の投資損失だけですみ、金銭的な損失や信用の低下による無形の損失ははるかに少なくてすんだはずである」との悲痛な嘆きもある。
 臥薪嘗胆という。今となっては苦い胆を舐める代わりに、この報告書をいつまでもホームページにおいて企業再生の糧とすることを望みたい。

 我々がこの報告者から学ぶべきことは、その場を支配する「空気」に逆らえなかったり、つまらぬ行きがかりに拘泥したり、空威張りに過ぎない「権力や権威」の行使で見栄を張るような「愚かな我々」の分身を見据える醒めた目を持つことではないだろうか。

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2008年02月06日 10:50に投稿されたエントリーのページです。

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