5月25日の『日経新聞』に東京大学の鈴木博之教授が『再開発と歴史的建築物』と題する一文を寄稿している。それによると1983年の調査では、明治以後の近代建築の中で、人口10万人以上の都市に建つ文化施設、官公庁、事務所、金融機関などの建物は2838件あった。最近の調査ではそれが1079件に減少した。この20年間で近代建築は三分の一に減ったことになる。
近代建築といわれる建物は昭和戦前までのものだろうが、明治・大正の建物は絶滅寸前である。大正元年は1912年、昭和元年は1926年だから、明治の末からまだ100年経っていない。それなのに明治の建物に巡り会うことは著しく困難だ。
取り壊しは建物が老朽化して維持できない、あるいは経済的に困難という理由によるのだろうが、その背景には鉄やコンクリートの建物を木造建築と同様に軽く扱う意識が潜んでいるのではないか。今なお現役の建築家の設計で建築学会賞を受賞したホールがわずか5年で壊された例もある。壊してしまえば大地に還りすべてをやり直せる。新しい方が古いものより価値がある。伊勢の式年遷宮の感覚である。いや、木造なら建て替えても同じ建物ができあがる。
街角の建物が消えるごとにその町の記憶・歴史が失われていく。どんなにいい建物でもそれに愛着を持つにはおそらく一世代くらいの時間がかかるのだろう。
先日ニューヨークに行った折り、セントラルパークの西側の通りに面して三階建て程度のシンボリックなドーム状の建物の改修が行われていた。聞くと10年くらい前まで使用されその後放置されていた旧精神病院の改修で、それを高級な集合住宅に改造するところだという。コンクリートだけのスケルトン状態にしての改修であったので、日本的な感覚では「建て替えた方が安い」のだが、新築時から古色蒼然とする方が高級であるらしい。街の記憶分だけ付加価値が増す(高く売れる)のだろう。200年しか歴史のない国では「歴史的」なものに飢えているのかもしれないがこちらが正常である。
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