| 説教くさい話を持ち出すつもりではないことを予めお断りしておく。
「法は最低限のモラルである」という言葉があるが、大抵の法には歴史的にその法(規則)が必要なわけがあって、この国で社会活動や経済活動を行っている者は須く法に従い、守らない者にはそれなりの制裁(罰)を加えるという、法治国家として極めて当たり前のシステムでこの世が成り立っていることは、(多少不満があるとしても)認めてもいいことだろう。
盗み、殺し、火付けという、どこの国にも存在する「当たり前の」犯罪に対しては、ここでは取り上げない。筆者が最近感じていることは、社会常識や教養もあると思われる経営トップ達が、簡単に社会ルールを無視した行動(すなわち経済犯罪)を犯し、その行為に対し(表向きはともかく内心は)悪いと思っていないのではないかと言うことだ。
金額はさておき、個人の脱税事件などは人間性(欲の皮の突っ張り)に基づく、極めて自然で(つまり税金を逃れたいという意図が理解でき)見返りの明確な犯罪と言えるが、組織の経済的な犯罪は、多くの身内を巻き添えにして、他社や我々個人の正当な社会行動を妨げる極めて不公正な行為であるという自覚が、彼らからすっぽりと抜け落ちていると思われるのである。
銀行の組織的な帳簿隠蔽、自動車メーカーの欠陥隠匿、商社の排出ガス検査偽計、個人支配企業による公開株式偽装、役人による多額の税金の私費流用等々、忘れる暇もなく次から次へと露呈する事件の根底には、長年にわたる組織の澱というか歪みというか、「島国根性」、「組織防衛」、「身内一番」という判断基準を社会正義に優先させている商業主義や利己主義が見て取れる。
誰でも他人より自社の利益を大事にしたいと思う。しかし、個人を超越した社会的存在たる企業や組織は、最低限、法に従った行動を取ること、少なくともその責任者は社会正義と組織の利益とのバランスに配慮してしかるべきではないかと、その立場でない者は誰でも考えることだ。
きれい事を言っているのではない。彼らが犯した罪は本当に社員・仲間・組織のために「やむを得ず」取った行動とも思えず、またその逆に我が身の富と権力維持のため、あらゆる手段を迷わず行使してきた確信的大悪人の行為でもなさそうだ。
どうやら、閉鎖的な「組織」というシステムに潜む魔物が、そのトップをはじめとする構成員を嗾して、犯罪の自覚無しに、「こうすることが自分たちの利益であり、自分たちはそれを行う資格がある」と無批判的に行動を起こさせているのではないだろうか。悪事を行った社員が特別手当を貰っているわけでもあるまい。保身はあるだろうが、リスクに見合う個人的見返りだって極めて僅かだろう。
最近、テレビで「フェア・トレード」というテーマの番組を見た。公正な貿易と言うほどの意味だが、途上国で製造した品物に、多くの価値を賦与すること、さらにはほんの少しだけその国でがんばっている人たちへの寄付も付け加えること、と理解した。価格優先だけでなく、社会貢献(たとえば環境配慮)とその行為(多少の寄付)に対する満足度が個人の消費行動にも現れ始めているのだ。
例えは悪いが、国の力で集めた簡保の資金や無税をいいことにコストを下げた価格で、これまで無下な国の規制と戦ってきた宅急便の足を引っ張るような郵政公社の郵パックなどのやり方を批判して、高額でも宅急便を選ぶ事などは、単なる判官贔屓を越えたその人なりに社会正義の行使かも知れない。とはいっても、筆者が実行していると言っているわけではないのだが。 |